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■高島機関区
1970年頃の高島機関区
この当時、横浜駅のすぐ近くに高島機関区があった。これは現在のみなとみらい地区が三菱造船所(三菱ドック)で、そこと鶴見、品川方面を繋ぐ貨物線があったからである。
当時はまだ和やかな時代で、小学生が機関区の中に入って写真を撮っていても怒られることも無かった。ターンテーブルを押している作業員の表情を見ると、笑顔でこちらを見ている。ただ、当時も鶴見機関区の人たちは結構煩かった。
<D51451>
このD51451は、1940年2月27日に製造され、東京ー水戸間で使われた。
その後1968年から新鶴見区へ配属される。
1970年11月28日に廃車となるため、この写真は廃車となる数か月前の写真である。
その後、昭島市昭和公園に展示されることになる。
昭島市昭和公園の展示風景
昭島市昭和公園の掲示板
<D51130>
このD51130は、1938年9月17日に日立製作所笠戸にて製造。
新潟局糸魚川区で運用開始される。
1969年9月2日に新鶴見へ配属となる。
この写真はこの当時のものである。
その後1971年10月26日に廃車となる。
<D51515>
このD51515は、1941年3月31日に大宮工場で製造される。
その後水戸区で運用される。
1969年10月14日に新鶴見区が借入をしている。その後1970年4月以降には、前照灯の
副灯が取り外されているので、この写真はその前に撮影されたものであることがわかる。
その後1971年3月から水戸市千波公園に保存される。
水戸市千波公園での展示の様子
<D51546>
このD51546は、1942年5月に小倉工場で製造されている。
その後九州、熊本方面で使われていたようである。
そのあとの配属経歴を見ても新鶴見に配属された記録は無い。その為、この写真は、
たまたまどこかへ移動する途中で高島機関区にて停車していたものと思われる。
<D51408>
このD51408は、1940年4月12日に日本車輛名古屋で製造されている。
その後富山、広島方面で運用されたあと、1951年2月23日に国府津区から新鶴見区に
移されている。
この写真に写っている副灯は、1969年頃取り付けられたものである。
1970年11月に廃車となっている。
その後、川崎市生田緑地青少年科学館前に展示されている。
生田緑地青少年科学館前での展示の様子
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